カテゴリー「芸術」の9件の記事

空の彼方をよく見たい。

私は閉所恐怖症である。coldsweats02

狭いところ、限られたところが苦手で、

しかも性格的にあまのじゃくなため、

「限られたものは破りたい」のです。

約束は守るためにあるのではなく、破るためにあるとまで思っている。happy01

その背景は話すと長いのでここでは割愛するが、

決して生まれつきではない。

紆余曲折あり、結局そこに落ち着いたって感じ。

またそこらへんについてはいつか書ければなあ、と思っている。

さて、今夜満月ですが、またもやお天気は曇りでお月さんは見えない。

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東大寺大仏〜天平の至宝〜

行ってきました。

東京国立博物館平成館

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お目当ては、「国宝・誕生釈迦仏」(たんじょう・しゃかぶつ)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

お釈迦様がお生まれになり、7歩歩いて

「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)

と言われたときの姿を表したもので

わが国に遣っている誕生仏のなかではもっとも大きいものです。

・・・

腕や胸には柔らかなくびれをつくり、

幼児のふっくらとした肉身をたくみに表現しています。

口元にはわずかにほほえみを浮かべています。

・・・

実物を拝見した感想・・・

率直に。。。

可愛かったです。lovely

今にも動き出しそうでした。

で、

「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)

の意味ですが、

まあまあ、受け止める人、それぞれ、と思うのですね。

私はね。

「世の中で自分ほど、偉いものはない」

と解されるようなのですが、

私はそうじゃないと思います。

・・・

そうじゃない、というか

そうともいえるし

そうじゃないかもしれない

ともいえるという意味で。

confident

「国宝・誕生釈迦仏」(たんじょう・しゃかぶつ)

フィギュアがうちにいます。(一緒に行った母が買ってくれました)

・・・

えっと〜。

小さいおじさんとちょうどサイズが一緒くらいの

105ミリです。

happy01

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ゴッホ展「ぼくは100年後の人々にも、生きているかの如く見える肖像画を描いてみたい」

Img_0218

行ってきました。

没後120年 「ゴッホ展」こうして私はゴッホになった」

(原題     The Adventure of becoming an artist)

http://www.gogh-ten.jp/tokyo/

今回のゴッホ展は、ゴッホがいかにしてゴッホになったか・・・

その監修者のシラール氏は「ゴッホがいかにして絵を学んでいったか」を表現したかったとのこと。

・・・

ゴッホはいつ、ゴッホ(アーティスト)になったか?

それは、「画家を目指した時から」で、

最期まで、自分は完成したアーティストとは思わなかった、

それが、彼の「The Adventure of becoming an artist」

と、シラール氏は言う。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

「ぼくは100年後の人々にも、生きているかの如く見える肖像画を描いてみたい」

この言葉は、ゴッホが自ら死を遂げたとされる、約1ヶ月前に

妹に宛てた手紙に書かれたもの。

どうでしょうか?

120年たって。

十人十色の感想があると思います。

この作品名「自画像」(1887年)。

目の前にして、数分、あれやこれやと感じました。

いろいろな感想がありました。

ファーストインプレッションで述べるならば、

・・・・これ、どう見たって、「ブラウン管」ですよねsign02

sweat01

色とりどりの点や線で描いた自画像。

(これ~、当時では、確かに評価されなかったかも!)

色とりどりの点や線で描いた、浮かび上がる自画像。

当時、テレビなんて無かった。

ゴッホは予期していた?

100年もたてば世もブラウン管が発明され(?)、

100年後も、自分がブラウン管を通して、映像を通して

果てしなく生き続けるって(?)こと・・・

つまり、未来を、「絵」という芸術という狭い世界のみならない、

宇宙規模で、何かインスピレーションで放った言葉だった?

こうやって、時間を作って、美術館に足を運ばなくても絵を見れるわけです。映像で。

万が一、原作が世から消えても。

・・・・・

・・・・・

ところで、ゴッホとその弟は、日本の「浮世絵」の大変なファンであり、コレクターだったそうです。(ファンどころか、おたく並とか)

http://stephan.mods.jp/kabegami/kako/Courtesan/picup1.html

時代を超えて、ぜひ出会い、語ってみたい人の一人です。

いや、すでに、日本に転生している魂かも。confident

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八日目の蝉・NHKドラマ・最終回

昨夜、最終回でした。

全6話。見ていた人、(または原作を知っている人)しかわからないような記事になると思う。

この作品は本当に考えさせられた。

全6話という短い時間の中でこのテーマをまとめるのは難しかったと思うが、

まあ、よくまとまったと、関心しました。

壇れいさんの美しさ、子役の小林星蘭さんのかわいらしさ

もうたまりませんでした。

そして、大きくなった薫役の北乃キイさんの演技、

すばらしかったです。

すべてに関わる人間模様も考えさせられた。

最後、希和子(壇れいさん)が「かおるー」と叫び、振り向き・・・

しかし

薫(北乃キイさん)はきびすを返して立ち去るシーン。

・・・

偶然なのか、私が数日前に再三心に響いてやまなかった曲、

「千と千尋の神隠し」のラストシーンにそっくりだと思ったのは私だけでしょうか。

ハクが喜んで千尋をあの草原の石段から千尋を送り返したように

希和子はあの岡山の港でずっと薫を待ち続け、

薫をやっと送り返せたのではないかな、と感じました。

恵理菜として生きてきた「薫」をやっと見送れた安堵の表情に見えたのは私だけでしょうか。

それは、千と千尋の神隠しで、ハクと千が本当の名前を思い出したのに似ている。

思い出したところからまたそれぞれの出発点が始まったのだと感じました。

また、最後にずっと思い出せなかった言葉・・・。

刑事に捕まり、引き離される場面で、薫が思い出せなかった母の最後の言葉。

「待ってください、もう少し待って・・・」

20歳になってやっと知った。

「この子はまだ、朝ごはんを食べていないんです・・・!」

ここは、ハクが千尋におにぎりを食べさせるシーンにつながりました。

・・・

この「八日目の蝉」はもちろん、賛否両論の作品かと思います。

私は原作を読んでいないし、読もうとは思っていません。

ただ、ここのところのメッセージで感ずるに

人間の原点、シンプルな思い、まっすぐな、誠実さを思い出せ!って言われている気がしてならないのです。

まさに、警告?警鐘?というか。

引き裂かれるより、なにより、わが子が腹をすかせている、だから食べさせるまで

あともう少し待って、

シンプルな、まっすぐな本能を「きれい」に思い出せ、と感じます。

そんなことが響いたドラマでした。

///

以上、見ていない人にはまったくわからない内容で失礼いたしました。coldsweats01

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無限大・ブルーを求めて

久々に感動した。

偶然 仕事帰りに通りがかった。

東京国際フォーラムショップで11/8まで開催です。

(10:00~20:00 会期中無料・作家来場サイン会 11/8(日)午後2時~)

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

私の一番好きな色はブルーです。

ブルーと一口にいってもいろんな「青」があるけれど

このお方の作品のブルーはやさしかった

・・・

素敵な必然。

サプライズ。

感謝。

HIROSHI WATANABE OFFICIAL SITE

 

http://hiroshiwatanabe.jp/works/index.html

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千と千尋の神隠し

久しぶりに見た。3回め。たまたまテレビつけたら始まったので急遽見た。

びっくりしたのは前の2回とはまったく違う目線の自分がいたこと。

ああ、私は変わったな・・・。と静かに思いました。

2001年7月20日日本公開。

もう約8年前なので今見ると当然、過ぎた昔の作品だな、と感じる。

・・・ん?・・・

それ、すごい、とさっき見終わってびっくりした。coldsweats02

作品が出来上がって、「8年経った感」がしっかりある映画なのだ。

うまく説明できないけど、作品が出来て完成!じゃ無くて、続いている感がある。

そして明日からまた続いていく、「物語は終わっていない」感がある。

すごい作品だ・・・。sweat01

・・・

突然迷い込んだ別世界。

そこは日本の八百万の神々が集う「湯屋」。

これは今、地球がアセンションを目の前に直面しているまさに現実だ、と私はとらえた。

この監督の作品の中では珍しく、

私はもっとも現実的(スピリチュアルな意味で)な作品と思う。

世の中は「人間の世界」と「神々の世界」が若干ずれて重なっている。

要するに「人間しか入れない世界」がちょっと、そして共存(重なっている)部分が多く、

残りは「神のみが入れる世界」となっているとする。

この「湯屋」はこの「神のみが入れる世界」だった。

ここでちょっとこの映画から話が離れるんだけど

今、この「人間の世界」と「神々の世界」が若干ずれて重なっている、その「ズレ」がますますずれている、と感じる。

8年前のこの映画で汲み取れるズレ、から明らかにさも8年経った感があるとは、このこと。

・・・

人間と神が重なって共存いた部分がどんどん少なくなる・・つまり「人間の世界」と「神々の世界」がどんどん左右に離れていって、

最終的には完全に2つに分かれてしまうそうだ。

努力しだいで「人間のみ」、「共存、重なってる部分」、「神のみ」の領域を行き来できたものが

将来最終的には完全に分かれるため、もう行き来できない。

「人間世界」か「神世界」かどちらか。

これがよく言われる「二極分化」。

・・・

この映画の結末は、千尋は「神のみ」の世界から「重なっている部分」に戻る。

「神のみ」の世界にワープするまえの千尋は

「人間のみ」(自分中心のわがままな性格だった)の部分にいた。

「人間のみ」→「神のみ」→「重なっている部分」・・・の順。

3歩進んで2歩下がる感じか?catface

まあ、「神のみ」の世界にいた千尋は「神」になったのではなく、神を世話することで

「神の世界」の覗き見をさせてもらっただけなのだけど・・・。

覗いてるだけの「湯屋」の人々の中で、

千尋は能力の開花、ハクとの出会い、愛の確認等々を経験して次元上昇した。

自分が一時「神のみの世界」にワープしたことの意味を果たす。

この展開が8年前ってことがやっぱり凄いと思う。

8年前は私はそういう目線で見れなかったし。

・・・

この作品がもし8年前ではなくて今だったら・・・。

おそらくあれほどまでの大反響ではなかったのではないか?と思う。

どういう意味?

今急速に時間が加速(8年前にはおよそ想像もしなかったほど)しているなか

「人間のみ」→「神のみ」→「重なっている部分」の図式(進んで下がる感じ)は

もう古いからだ。(あくまで私が思うに)

2歩も下がっている時間や猶予は、無い。sweat02

3歩進んで1歩進むくらいで丁度いいくらい。happy02

千尋にとってはそれでも物凄い成長だけど・・・せっかくソウルメイトのハクと出会って、

昔を思い出して・・・愛の力のすばらしさを知ったのに。

あのラストシーンのトンネルを戻るとすっかり忘れちゃって・・・

それでまた人間に近いほうの世界に下がる設定・・・。

8年前ならよかった。完璧だ。

でも今はもうすでに過ぎ去った設定・・。

それが凄いと思った。

作品が、公開から生き続けている証拠。

そして明日からも生き続ける・・・。

・・あ・・・そうか。

もしやそれを意図した作品なのかね?up

また1年後とかに見たらまた全然違う風に感じるだろう。

・  ・  ・

・・・何回も転生を繰り返してきた魂のつながりを持つ千とハク。

千尋は「私、前にも一度ハクに会ったことがあると感じるの!」と夢中で言う。

おばあさんは「一度会ったもののことは決して忘れないものさ」とつぶやく。

ハクは「千」を「千尋」だと忘れず、千尋はハクの本当の名前を思い出してそれをハクに教える・・・。(本名『ニギハヤミコハクヌシ(饒速水小白主)』。 )

千尋は幼い時の家の近くを流れる小川に落ちて命拾いした。

その小川を司っていた神がハクだった。

ハクは「千尋が僕の中に落ちてきた」のを思い出す。

あの日の川

いのちの名前

平原綾香

www.youtube.com/watch?v=VOGh-muDZSk

この映画はスピリチュアルさがそこここにちりばめられている。

さてさて、以前に別のブログで「おにぎり」ネタをこの映画に引っ掛けて書いた文があるので載せてみる。

そんなハクが心をこめて千のために握ったおにぎりはどんなにかエネルギーに満ち溢れていたでしょうね・・・。

まだ二人が魂の転生を何度も繰り返してきたと気づかない時なのに。

説明の付かない引き寄せを感じ、でもすべては愛・・・

愛とは・・・難しそうに見えて 実はもっともシンプルな理由。

設定は過ぎたものでも本質はずっと変わらないところがこの映画の魅力かな。

今日もいろいろありがとう。cherry

それから私もまだまだいろいろ思い出さなきゃあなあ。confidentshine

なんでもおにぎりは「お結び」ともいい、これは神と人がつながることを意味するらしい。

おにぎりは他のどの国の文化にも無く、直接手でにぎることから、「気」がふつうのご飯の3倍こめられるらしい。

とても神聖なものらしいです。


へ~知らなかったわ。


たしかに手作りのおにぎりって意味深ですよね~おにぎり

あんなにメジャーなものなのに。
今まで私のにぎったおにぎりを食べた人ってそう何人もいない。

家族親戚以外思い出せるのは2人だけだ。


(仕事でにぎった事は何度もあるが素手ではないから「気」はほとんどこもらないだろう)


逆に手作りおにぎりを食べさせてもらったのは3人だけだ。
父と母と親友@子のにぎったおにぎりしか食べたこと無い。


その人の「気」が入ってるから意味ある人にしか届かないのではないかしらね。

だからか、おにぎりって満足感あるよね~
ほっとした顔


そういえば映画「千と千尋の神隠し」でも、心細い思いをしている千尋がハクにおにぎりもらって食べて、セキをきったように大泣きするシーン・・・すっごいわかるなあ。

じゃああのシーンの奥深さは日本人しかわからないってことかもなあ。

そういえば↑↑↑前回まではあんまり気にしてなかったけど、千尋はそのおにぎり、

一度は「食べたくない・・・」って断るんだよね。

でもハクが「千尋のために 心をこめて 僕がにぎった」って聞いて・・・

食べるんだよね。crying

私の一番好きな場面!

これは三回見ても変わらない~。cherry

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放浪記・2

ある方のステキな評論を見つけたので共有。

ちなみに菊田一夫はこの「放浪記」の劇作家。

緑敏は木賃宿で知り合った画家。三人目の夫。

菊田は、「不幸で不遇」なままの芙美子像こそ、多くの観客に受け入れられる、と確信して、あの『放浪記』ラストシーンを書き上げたのだろう。
 林芙美子へ、周囲の人たちが感じた「羨望と憎しみ」を残してはならない。
 観客が、快く芙美子の生涯へ拍手を送って帰宅するには、芙美子が幸福に見えては「興ざめ」となることを菊田は知っていた。

 平凡な日常の疲れを癒しに劇場へやってきて、ささやかな慰安のとき非日常のひとときを過ごす観客に、「自分の人生への、疑問や否定」を残すことは商業演劇の仕事ではない。

 芙美子への「負の感想」を払拭するために、菊田は日夏京子にセリフを与える。「おふみ、あんた、ちっとも幸せじゃないのね」」
 徹夜続きの執筆に疲れ切り、暗い顔をして眠り込んでしまう芙美子の姿。余韻の中に観客は涙を浮かべ、懸命に生きたひとりの女性に拍手を送って家路につく。

 あらゆる手段で書くことを追求し、作家として成功した芙美子が主人公である一方、「作家としては成功せず、平凡な一生を生きた日夏京子」を脇役に据えることで、菊田の舞台『放浪記』は成立しているように思う。

 もし、本当に芙美子が、作家として家庭人として不幸な生活を送っていたのだったら、落合の家は「作家の棘」でささくれだっていただろう。
 芙美子は書くことで生きていた。書き続けることが芙美子にとっての幸せだった。
 特に敗戦後の6年間、芙美子はある覚悟を持って書き続けていた。家族もそれを理解していたから、芙美子が書くことによって生きていこうとするのを静かに見守っていたのだ。

 1951年に48歳で芙美子が亡くなったあと、緑敏は、落合の家をそっくりそのまま保存した。妻が設計に心をくだいて作り上げた姿のままに残したのだ。
 妻がいなくなった家。緑敏にとっては、なおいっそうのこと、間取りのひとつひとつ、家具調度のひとつひとつが亡き人の思い出となり、芙美子が使っていた机もペンも、芙美子の面影をだどるよすがとなっていたことだろう。

 8歳で養母芙美子と死に別れた養子の泰は、その後、交通事故により早世し、養母の元へいってしまった。
 「行商人の娘だった貧乏作家が、成り上がったあとは、息子を学習院に入学させるのか」という揶揄を受けたことを、泰自身は成長したあと、どう受け止めていたのだろうか。
 養母芙美子に死に別れ、自分自身も若くして亡くなる運命だったとは。

 緑敏は息子にも先立たれ、ひとり落合の家を守って暮した。
 1989年(平成1)に緑敏が亡くなるまで、落合の家は芙美子がいた当時のまま保たれた。エアコンをつけることさえせずに、緑敏は、芙美子の机、芙美子の書棚をそのまま保存した。

 1941年に建てられ戦火を免れた「落合の家」は、築50年を経て「昭和の民家」として貴重な文化財となった。
 緑敏亡きあと、遺族から新宿区へ寄贈され、林芙美子記念館として公開されている。(つづく)

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「放浪記」

すばらしかった。

森さんとても美しかった。

今日の昨日で特番TV放映されて、それを見たことも手伝って

もうばっちりパワーをもらいました。confident

http://www.tohostage.com/hourouki/index.html

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森さん演ずる文士・「林芙美子」はとにかく貧乏だった。

だけどもところどころにお茶目で笑いとばす明るさ、強さがある。

幼い時から母と二人で家が定まらず、転々とした。

「私は放浪癖がある。ずっとそうだったから。

だから転々とすることはなんでもない。」

(注:せりふは一言一句正しくないかも知れない。あくまで私の口で書いてる)

林芙美子の作品はついには世に出て成功をおさめたが

その評価には

「ゴミ箱の中をぶちまけたようだ」

「それを「どうだ」、と見せ付けられて嫌悪感を感じる」

と言う人もいる。

たしかに、この人の作品をはっきり言って私も好きになれない。

嫌悪感、まではいかないけど

明らかに同感はしない。

「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」

林芙美子の代表的な名句だけど

ごめん・・・

言いたいことはわかるけど

私の世界ではないわ。

けれど

最後に

つらくあたられていた別れた二番目の夫に

「ずっとそう感じてきた。

だが、そこに美しさを見出した・・・」

と言われる・・・。

これを森光子さんが40年以上も公演し2000回を突破する(世界初)のには

他の意味があると私は思う。

ん~うまく説明できるかな。

出来ないかもだけどチャレンジしてみるか。

林芙美子は1903年に生まれ、47歳で他界。

まさに戦時中。

はっちゃけた タフな女性。

原作は毎日の日記調で毎日お金のことばかり。

「今日は1銭で食いつなぐ・・」とか

「今日はいくらしかない」

「だれそれのこの家は家賃いくらいくら」

な~んて金の話ばっかり。

実母に仕送をしないといけなかっったり

金のかかる夫だったり。

おもしろおかしくもない作品なんだけれど

随所にヒットするポイントがあるんだよね。

「自分は自分しか助けられない」

「人がなんと言おうと真実しか私は書けない」

せりふの一個一個がなんかすごく響く。

作品は同感しないけど、せりふが響く。

それはなぜか?

きっと形として生み出される「作品」は私とは異なるけど、

その「動機」「思い」は共感するってことかと思う。

「根っこ」がわかるっていうか。

そして、これは観劇後、母と語ったことだけど。

実家が定まっていず、稼いでも稼いでもなんかで金が出て行く人生。

母も、私もそうではない。

「そんな境遇の人の気持ちは図りきれない。」

だけど

「自分は自分しか守れない」ことや

「人がなんと言おうと真実しか表現できない」

というのはわかる。

最後の名せりふ。

芙美子が世に認められて有名な作家になり

立派な家をもち、母にも立派な洋服を着せて

お手伝いさんもいる生活になっても

芙美子は貧乏なときの習慣から抜けられず寝ずっぱりで原稿を書く。

「ちょっとでも休むとほされる」

「楽をしたらおしまいなのよ」

得た、富。

貧乏に苦労してやっとたどり着いた。

しかし富んだ世界で待ち受けていたのは

失うことの恐怖。

小説を書いて書いて書き続けないと

またあの貧乏という苦労を背負うのか。

貧乏に舞い戻ることの恐怖。

疲れ果てて机に転寝する芙美子に

今はもうその世界を引退した戦友がそっと

が、丁寧に毛布をかける。

「あんた、ちっとも幸せじゃないのね」

そこで幕が降りる・・・。

・・・・

私的な単独感想だけども。

これってまさに現代を象徴してるやん!bearing

戦後、高度成長期時代に「物質的な」豊かさに浸って

経済の迷路に無垢な心ではまり

バブルの波に踊らされて

それはそれで確かに楽しかった。華やかだった。優雅だった。

shine

だけど、大きな財産を得た人は手放しに幸せだったか?

私は大きな財産を得てないのでわかりません。

だけど

あくまで想像だけど

得たら、得たで

失うことのあせりを生んだと思う。

芙美子は47歳という若さで急死。

芙美子の数多くの詩の中で詳しくは忘れたが

幸せを手に入れたらすぐにこの世を去りたい・・・。

幸せをなくすことに心配になるから・・・

・・・・

みたいなのがある。

まるで自分の最期を予測するような詩・・・。

貯金が0でも気にしない人もいれば

1000万ないと心配な人がいる。

よーく冷静に考えたら

同じ人間

最低限食べて飲んで「生きていく」だけに必要な量は大差ないはず・・・。

成功したけど全然幸せじゃない人だらけ。

大きな財産を得た人はそれを過剰に保持してなくていいいんだよ。

そんな「今」

この「放浪記」はそれを時を越えて私たちに教えてくれてるのではないかな。

現代の矛盾そのものやん!

100年近い昔がそれを教えてくれる。

それに気づいてほしくて

森光子さんはこの「放浪記」を命の尽きるまで担当したいのではないか。

あくまで私の感想だけど。confident

舞台の最後・・・。

よくある、出演者がみんな出てきてわ~っとあいさつ。

なんて野暮なことはなかった。

最後

森さんたったひとりが正座してお辞儀からはじまり・・・

観客席のすべての人を見るんです。

一階席の右から・・・左へ・・・

2階席の右から・・・左へ・・・

それを2順。

指差して目を顔をゆっくり動かして

全体を見る・・・。

ん~3分くらいはかけてるかな。

その間すごいほどの静寂・・・。

すごいオーラでした・・・。

私は時折目を閉じ魂を感じ・・・

体が微振動して魂がふるふる喜んでいるのがわかった。

エネルギー交換。

森光子さんがいつまでも若々しいのは(なんと89歳ですよ!)

こうやって大勢の人とエネルギー交換してパワーアップしているから。

10~40歳代の役なのに観ていてまったく違和感ないのよ。

いや~凄い。

本当に初々しくかわいらしいしぐさがなんとも言えなかった。

きりがないわ。

また後日思うところを書くかも。

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自分を信ずる、愛する

自己ちゅーではなくて。

confident

今日も夕方あたりからネガティブオーラが入ってきた。

私はそんなときそこにもちろん浸ることはなく

浄化するワークにはいる。

あっという間に清算できるときもあるし、

何時間もかかるときも。

でも長くて3時間くらいかなあ。

無理やりに打ち消すとか

無理やりにテンションあげるとかではなく自分と対話する感じ。

対話形式だな。

自問、自答って感じ?

今、テレビで森光子さんのロングラン舞台「放浪記」の特集をしている。

「林芙美子」の波乱万丈な人生を森さんが演じる。

この間千秋楽をむかえた、高畑敦子さんが言っていた言葉。

「なんか(森さんに接すると)、泣きたくなる。涙がでるの。ありがたいんです。

観音様拝んでるみたい。」

「もう、ありがとうってなっちゃう。」catface

と手と手を合わせていた。

私もオーラが無事いつもの輝きを取り戻し、澄んでくると

泣きたい気分になる。

人前では泣けないからなんとかなだめすかすけど

一人のときは涙を流れるままにしておく。

目がきれいになって視界もクリアになる。

この涙はもちろんネガティブなものではなく

超超幸せな至福感のエネルギーに満ちた涙。

心のデトックス~

そりゃあ気持ちい~happy02

最後は「自分を信じ、愛す」感覚が戻ってくればもう大丈夫・・・。wink

そんな感じかな。good

ところで

観音様に会った気分がする人間てどんなだろう。。。

本当、話す言葉、言葉がポジティブで幸せが写りそう。heart04

自分を信じていて、愛しているって感じがする!

森光子さんはよく知らなかったけどステキな人そうだあ。

明日、この「放浪記」実母と観に行く。

すっごく楽しみ~up

さあ引き続き番組見なきゃあ。

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